・好きな音楽を聴くのはささやかな楽しみ
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藤圭子 / 女のブルース
 

藤圭子の2ndアルバムであるこの『女のブルース』が発売されたのは70年7月。
デビューアルバムの『新宿の女』がカヴァー曲中心だったのに対し、こちらは全12曲すべて彼女の持ち歌で固められています。もっとも演歌系歌謡曲の場合、楽曲そのものを楽しむ要素もありますから、その意味で前作の『新宿の女』のほうが私には楽しめます。
しかし冒頭の第2弾シングル「女のブルース」に込められた怨念は、彼女の他の楽曲より抜きんでた凄味があり、私は彼女のシングルではいちばん好きな曲です。

69年9月のデビュー曲「新宿の女」から70年にかけて「女のブルース」「圭子の夢は夜ひらく」そして「命預けます」と出すレコードは軒並み大ヒット。当時の藤圭子の人気はすごかったですね。
とくにアルバムの売り上げには目を見張るものがあります。
3月からオリコン・アルバムチャート第1位の座を20週続けていた『新宿の女』を蹴落としたのがこのアルバム。そして翌71年1月まで17週連続で居座ったそうです。

70年はまさに“藤圭子の年”でした。当時の歌謡界が演歌全盛期とはいえ少年マンガ雑誌の表紙を飾るなど、それは少し異常とも思える過剰人気。
当然TV出演も多くなり、歌番組に登場しない日が珍しいくらいでした。
私はデビューの時から彼女がTVに登場するのを楽しみにしていましたが、この頃はもうあまりにTVに登場するものですから、過労で倒れやしないかと心配になるほどでした。

その後71年に前川清と結婚。
その頃から過熱した人気も急速に冷め、その歌は“怨歌”とまでいわれた藤圭子もふつうの演歌歌手になっていったような気がします。

大阪万博、よど号ハイジャック、三島由紀夫の割腹自殺と、1970年は印象的な出来事が多くありましたが、この藤圭子の歌声もそれらに重なるように印象的でした。


A-1 女のブルース
A-2 女の流れ唄
A-3 涙のブルース
A-4 東京夜曲
A-5 命預けます
A-6 あなた任せのブルース
B-1 ネオン街の女
B-2 盛り場数え唄
B-3 夜の花
B-4 女泣かせ
B-5 東京ワルツ
B-6 女の真心

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万里村れいとザ・タイム・セラーズ / 今日も夢みる
 

「国民の祝日に関する法律」が改正され、「成人の日」が1月の第2月曜日になったのは12年前からですが、私はいまだにこの新成人を祝う日については1月15日のイメージが強くて、今日がその日というのはあまりピンときません。

今年の新成人は過去最少の122万人。
この曲がヒットした68年の新成人は236万人ですから、ずいぶん少なくなったものです。
当時の若者たちが若者の心情をハンドメイドで歌った曲です。

60年代後半の日本の音楽シーンでとくに印象深かったのは、やはりGS(グループサウンズ)の大ブームでしょう。空前のエレキブームが下火になるとともに巻き起こったGSの一大ブームは社会現象になるほどでした。
しかし、華々しいGSの活躍に隠れがちではありましたが、アコースティックギターを中心にしたフォーク系のカレッジ・ポップスが静かなるブームであったことを忘れてはなりません。女の子が着るようなフリル付きのシャツやミリタリールックに身を包んだGSに対して、アイビールックできめた大学生たちは大人っぽくみえたものです。

そんなカレッジ・ポップスの忘れられない名曲がこの「今日も夢みる」です。
そして、個人的にも「あの日の海は・・・」という思い出の曲です。

ジャケ裏の解説によると、この曲は当時のラジオ番組における聴取者の応募作品に歌詞を前田武彦が、そして曲には中村八大がそれぞれ補作して完成した曲だそうです。それだけにプロの作品とは少し違う瑞々しさが感じられるのかもしれません。ちなみに前田武彦はこの番組のパーソナリティーを務めていた関係で歌詞の補作に関わったのでしょう。

歌と演奏は当時慶應義塾大学に通う現役大学生たち。
万里村れいというのは芸名で、彼女の憧れであったPETER, PAUL & MARYのマリーと本名である村上を掛け合わせたものだそうで、当時のPPMの人気ぶりが窺えます。
歌詞には「あの日の〜」というフレーズが繰り返し登場し、郷愁にかられます。
感傷的なメロディと素朴な味わいに心和む歌です。


C/W さよなら

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ジャッキー吉川とブルー・コメッツ / 青い渚
 

ブルー・コメッツの活動歴は古く50年代まで遡るようですが、ドラムのジャッキー吉川がリーダーになり、あの“ブルコメ”としての実質的なデビュー作は「青い瞳」(66年3月)。
いわゆるグループサウンズの先駆的役割を果たしたバンドのひとつとして一般的には定着しているようですが、井上忠夫というヒットメーカーを擁し、その歌唱・演奏技術の高さなどから、個人的には数多のGSとは一線を画したプロのバンドというイメージが強い。
ブームに便乗してにわか結成されたGSバンドにはない、実力派そして大人の雰囲気がありました。

「青い瞳」そしてこの「青い渚」、さらに「何処へ」をリリースした1966年当時のブルコメは、当時中学生だった私には強く印象に残っている。洋楽好きの仲間内では「フリフリ」のスパイダースのほうが受けが良かったような気がするが、なぜか私にはブルコメのほうが心に響いた。
後の歌謡路線の前触れを思わせるキャッチーな楽曲が多かったからね。

さり気ないベースのイントロに導かれたマイナー調のメロディがしっとりと哀愁を帯び、間奏部分の口笛の寂寥感もいい感じ。もちろん、3人のヴォーカルは分厚くハーモニーもブルコメならではのもの。「青い瞳」で滲み出ていたブルコメ特有の旅情豊かな力強い曲調とは違って、恋の終わり、夏の終わりを歌った失恋ソング。
この曲、当時はよく口ずさんだりして本当に好きだったなぁ。


C/W 星に祈りを

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ザ・フォーク・クルセダーズ / 青年は荒野をめざす

 

67年12月からきっちり1年間だけの活動で解散したフォークルのラストシングル。お別れと新たな旅立ちを告げる曲です。発売は68年12月で、中学卒業そして高校進学を間近に控えた当時の私の心境に沿うような曲で、いま聴いても当時のことが思い出されます。
フォークルは衝撃の「ヨッパライ」もそうだったけど、なんか冬のイメージが強いです、個人的に。

アコースティックギターのイントロに導かれるスローな歌い出しから「出発の時がきた」とテンポアップし、旅立つ若者のイメージづけが秀逸です。
そしてアコースティックギターの響きがとても印象的。

ところでフォークルは「日本のビートルズ」と呼ばれただけに、ビートルズを強く意識していたように思いました。そして臆面もなく彼らをパクっていましたね。
ここでB面曲の話題。
弦楽四重奏の伴奏をつけた「何のために」は「ELEANOR RIGBY」を連想しましたが、この「百まで生きよう(WHEN I'M A HUNDRED)」の元ネタは明らかに「WHEN I'M SIXTY FOUR」。
北山修のとぼけた味のヴォーカルに絡むバックの演奏を聴いているだけでも楽しめます。


C/W 百まで生きよう

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ピンキーとキラーズ / 涙の季節

 

200万枚を超すセールスを記録した「恋の季節」があまりに印象強いピンキーとキラーズの第2弾シングル。
69年の正月にリリースされたこの「涙の季節」は長い年月を経ていまでは少々印象薄か。ミリオンセラーの前作の影にすっかり隠れてしまった感があります。
ちなみに曲名だけでネット検索すると、ヒットするのはキャンディーズの同名異曲のほうが多く、ここでも影が薄いですね。

しかし1月1日に発売って・・・
元日からレコード店は開いていたのですかね。
むかしの正月風景の記憶としては、元日早々営業していたのは映画館とパチンコ屋さん。コンビニなんてない時代でしたから、商店街は閑散として静かなものでした。お年玉を手にした子供たちで唯一賑わっていたのが玩具屋だったでしょうか。

何はともあれ、この曲は「恋の季節」より好きです。
夏らしいポップス路線で大ヒットした前作に対して、この「涙の季節」はボサノヴァ・タッチの落ち着いた雰囲気が漂う曲で、このボッサ路線はこのグループ本来の持ち味かな。
いまでも何かと耳にする機会のある「恋の季節」は少し聴き飽きてしまい、しっとりとしたこの「涙の季節」のほうが新鮮に響くし、曲調もより彼らに合っているような気がします。


C/W 涙のバラード

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